|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 吹雪 : [ふぶき] 【名詞】 1. snow storm ・ 雪 : [ゆき] 【名詞】 1. snow ・ 型 : [かた] 【名詞】 1. mold 2. mould 3. model 4. style 5. shape 6. data type ・ 駆逐 : [くちく] 1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction ・ 駆逐艦 : [くちくかん] 【名詞】 1. destroyer ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
朧(おぼろ)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(特型)の17番艦。朧型(吹雪型後期型)の1番艦〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』〕〔#高松宮日記3巻383頁『第四艦隊(五五九=一八-二〇〇〇)至急トラック宛急送取計度。(一)「睦月」級主砲4800発 (二)「天龍」級主〔砲〕1860、高〔角砲〕400 (三)「朧」級主600 (四)「青葉」級主2400、高3200』〕。特II型の7番艦。この名を持つ日本海軍の艦船としては、雷型駆逐艦「朧」に続いて2隻目〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.74《雷(いかづち)、電(いなづま)、曙(あけぼの)、漣(さゝ゛なみ)、朧(おぼろ)、霓(にじ)》〕。 ==艦歴== === 初期 === 「朧」は佐世保海軍工廠で建造された〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『朧|一等駆逐艦|(艦要目略)|佐世保工廠|4-11-29|5-11-6|6-10-31|(艦装備略)』〕。1929年(昭和4年)11月29日に起工〔。1930年(昭和5年)11月8日午前9時30分に進水〔『○驅逐艦進水 佐世保海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦朧本日八日午前九時三十分進水セリ』〕。 1931年(昭和6年)4月1日、日本海軍は伊藤皎少佐(前職、駆逐艦「松風」駆逐艦長)を朧艤装員長に任命〔昭和6年4月2日付 官報第1275号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957743 p.11〕。同日附で武田喜代吾少佐も潮艤装員長に任命されている〔。 本艦は10月31日に就役〔。同日附で柏木英中佐を司令とする第7駆逐隊も編制された〔昭和6年11月2日付 官報第1454号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957922 p.15〕。 1932年(昭和7年)、第一次上海事変において長江水域の作戦に参加した。 12月1日、第7駆逐隊司令は、柏木大佐から第20駆逐隊司令吉田庸光大佐に交代する〔昭和7年12月2日付 官報第1778号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958249 p.9〕。 1934年(昭和8年)6月1日、伊藤(朧艦長)は第14駆逐隊司令〔昭和9年6月2日付 官報第2224号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958699 p.5〕へ転任〔後日、伊藤は第11駆逐隊司令、重巡洋艦「古鷹」艦長、空母「赤城」艦長、特務艦「樫野」特務艦長等を歴任。〕。後任の朧駆逐艦長は、峯風型駆逐艦8番艦「汐風」駆逐艦長新美和貴中佐となる〔。また吉田(第7駆逐隊司令)は同日附で最上型重巡洋艦2番艦「三隈」艤装員長〔昭和9年6月2日付 官報第2224号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958699 p.5〕、7月4日より川内型軽巡洋艦1番艦「川内」艦長〔昭和9年7月5日付 官報第2252号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958727 p.5〕、11月20日より最上型3番艦「鈴谷」艤装員長〔昭和9年11月21日付 官報第2368号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958844 p.4〕に転じた。 10月22日、新美(朧艦長)は長良型軽巡5番艦「鬼怒」副長〔昭和9年10月23日付 官報第2344号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958820 p.4〕へ転任〔後日、新美は重巡「衣笠」副長、第6駆逐隊司令、軽巡「多摩」艦長等を歴任。〕。後任の朧駆逐艦長は、睦月型駆逐艦11番艦「望月」駆逐艦長中川浩中佐に交代する〔。 11月1日より中川(朧艦長)は姉妹艦「曙」駆逐艦長を兼務〔昭和9年11月2日付 官報第2353号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子info:ndljp/pid/2958829 p.11〕。11月15日、河西虎三中佐が曙駆逐艦長に任命されたことで、中川艦長は兼務を解かれた〔昭和9年11月16日付 官報第2364号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子info:ndljp/pid/2958840 p.10〕。 1935年 (昭和10年) 9月25-27日、本艦は第四艦隊事件に遭遇した。第四水雷戦隊旗艦「那珂」は第11駆逐隊(初雪、白雪)、第12駆逐隊(白雲、薄雲、叢雲)、第7駆逐隊(潮、曙、朧)、第8駆逐隊(天霧、夕霧)を率いて演習をおこなっていた〔#夕霧初雪遭難事件報告(1)p.3『航行隊形』/pp.42-45『別紙第三、主ナル被害損傷調』〕。9月26日、暴風雨により「朧」は若干の損傷を受けたが〔#夕霧初雪遭難事件報告(1)pp.43-44『七驅|朧|一.艦橋前部舩体「リベット」弛緩/二.一番砲塔及三番聯管楯破損/三.第二兵員室縱通材屈曲/四.第四兵員室縱通材屈曲/五.「カッター」一大破/六.潜水器一流出』〕、艦首切断に至った「初雪」および「夕霧」程ではない。 10月15日、中川(朧駆逐艦長)は吹雪型姉妹艦「天霧」駆逐艦長〔昭和10年10月16日付 官報第2638号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子info:ndljp/pid/2959117 p.3〕へ転任〔後日、中川は重巡「古鷹」艦長、軽巡「阿賀野」初代艦長、戦艦「日向」艦長等を歴任。第三水雷戦隊司令官としてサイパン島で戦死《サイパン島の戦い》〕。 姉妹艦「潮」駆逐艦長森可久中佐が臨時に朧駆逐艦長を兼務する〔。 11月15日、森中佐は2隻(潮、朧)艦長兼務を解かれ、峯風型15番艦「沼風」駆逐艦長村上暢之助中佐が朧駆逐艦長となる〔昭和10年11月16日付 官報第2663号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子info:ndljp/pid/2959142 pp.10〕。 1936年(昭和11年)12月1日、村上(朧艦長)は鎮海防備隊副長〔昭和11年12月2日付 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子info:ndljp/pid/2959458 pp.22,23〕へ転任(後日、第二次ソロモン海戦時の第24駆逐隊司令)。後任の朧駆逐艦長は、睦月型駆逐艦2隻(睦月、如月)艦長を兼務していた白浜政七少佐となる〔。同日附で第20駆逐隊司令橋本信太郎大佐は第7駆逐隊司令に任命された〔昭和11年12月2日付 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 p.21〕。 日中戦争に際しては1937年(昭和12年)以降、上海、杭州湾上陸作戦、仏印の作戦に参加した。 同年12月1日、朧駆逐艦長は白浜中佐から荒木伝中佐に交代する。白浜中佐は横須賀防備隊水雷長・横須賀海軍工廠機雷実験部部員に転じた〔後日、白浜は朝潮型駆逐艦9番艦「霞」初代艦長、吹雪型姉妹艦「狭霧」艦長、陽炎型駆逐艦12番艦「磯風」艦長等を歴任。第27駆逐隊司令として、渾作戦における白露型駆逐艦5番艦「春雨」沈没時に戦死した。〕。 同日附で橋本(第7駆逐隊司令)は旅順要港部参謀長へ転任〔後日、橋本は重巡「筑摩」艦長、戦艦「日向」艦長、太平洋戦争開戦時~ガダルカナル島の戦いにおける第三水雷戦隊司令官。第五戦隊司令官として、ペナン沖海戦における重巡「羽黒」沈没時に戦死。〕。後任の第7駆逐隊司令は、第9駆逐隊司令伊崎俊二大佐となる〔。 1938年(昭和13年)8月10日、荒木(朧艦長)は第21水雷隊司令へ転任〔後日、荒木は第18駆逐隊司令、軽巡「北上」艦長、重巡「古鷹」沈没時艦長、重巡「愛宕」沈没時艦長等を歴任。〕。それにともない、7月10日まで白露型駆逐艦9番艦「江風」艦長だった山田雄二中佐は朧駆逐艦長に任命された〔。 12月15日、伊崎(7駆司令)は軽巡「川内」艦長へ転任〔後日、伊崎は重巡「最上」艦長、重巡「摩耶」艦長等を歴任。第二水雷戦隊司令官として、コロンバンガラ島沖海戦における軽巡「神通」沈没時に戦死。〕。第7駆逐隊司令は植田弘之介大佐となる〔。 1939年(昭和14年)1月25日、朧駆逐艦長は山田中佐から吹雪型姉妹艦「電」艦長古川文次中佐に交代。山田中佐は3月1日より軽巡「北上」副長に任命された。後日、山田中佐は砕氷艦「宗谷」(戦後、南極観測船)艤装員長および初代艦長を務め、第20駆逐隊司令として第二次ソロモン海戦で戦死した。 11月1日、古川(朧艦長)は軍令部兼海軍省出仕(11月15日附で海軍省軍務局局員)となる〔後日、古川は第16駆逐隊司令となり、陽炎型9番艦「天津風」大破・船体切断時に戦死。〕。このため姉妹艦「潮」駆逐艦長柳川正男中佐が潮駆逐艦長と朧駆逐艦長を兼務することになった〔。 11月15日、柳川(潮艦長)は朧艦長兼務を解かれ、赤沢次寿雄中佐(10月20日まで砲艦「鳥羽」艦長)が後任の朧駆逐艦長に任命される。 1940年(昭和15年)4月15日、姉妹艦「漣」の復帰により第7駆逐隊は4隻(潮、曙、漣、朧)となり、引続き第6駆逐隊(暁、雷、電、響)と共に第二艦隊・第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦「那珂」)に所属する〔#支那事変第8回功績(7駆)p.1『自昭和十五年四月二十九日|第二艦隊第四水雷戦隊 對事変内地待機勤努』〕。 5月1日、第7駆逐隊司令は第一掃海隊司令渋谷紫郎大佐に交代。植田大佐は8月1日より室戸型給炭艦2番艦「野島」特務艦長を命じられている。 10月15日、赤沢(朧艦長)は陽炎型駆逐艦2番艦「不知火」駆逐艦長へ転任〔赤沢は「不知火」大破後、秋月型駆逐艦3番艦「涼月」駆逐艦長。第10駆逐隊司令として司令駆逐艦(夕雲型駆逐艦)「風雲」沈没時に戦死。〕。後任の朧駆逐艦長は、神風型駆逐艦1番艦「神風」艦長高須賀修少佐となる。 11月15日、第6駆逐隊と第7駆逐隊は第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦「阿武隈」)に編入される〔#支那事変第8回功績(7駆)p.1『自第一艦隊第一水雷戦隊 對事変内地待機勤努』〕。 1941年(昭和16年)7月18日、第7駆逐隊(潮、曙、漣、朧)は第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将)・第一航空戦隊(空母赤城、加賀)に編入される〔#支那事変第10回功績(7駆)p.1『自7月18日至11月31日|第一航空艦隊第一航空戦隊 對事変内地待機勤務』〕。 7月25日、渋谷(7駆司令)は第16駆逐隊(雪風、時津風、初風、天津風)司令へ転任〔後日、渋谷は軽巡「阿武隈」艦長、重巡「那智」艦長等を歴任。第101戦隊司令官として、香取型練習巡洋艦「香椎」沈没時に戦死。〕。後任の第7駆逐隊司令は、第21水雷隊司令小西要人中佐〔となる〔後日、小西は第9駆逐隊司令、軽巡「阿武隈」艦長等を歴任。雲龍型航空母艦1番艦「雲龍」艦長として、同艦沈没時に戦死。〕。 9月1日、吹雪型2隻(朧、漣)は所属する第7駆逐隊から除かれ〔#内令昭和16年9月(1)p.3『内令第九百九十七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年九月一日 海軍大臣 及川古志郎|第七驅逐隊ノ項中「朧、」及「、漣」ヲ削ル』〕、第五航空戦隊(空母翔鶴、春日丸)に編入される〔#支那事変第10回功績(7駆)p.1『自9月1日至9月24日漣単独駆逐艦トナル/9月1日ヨリ朧単独駆逐艦トナル』〕〔#支那事変第10回功績(朧)p.1『自9月1日至11月20日|聯合艦隊第五航空戦隊ニ属シ艦隊諸訓練ニ従事シツヽ対事変待機』〕。 9月25日、翔鶴型2番艦「瑞鶴」が竣工〔#内令昭和16年9月(4)p.21『内令第千百十八號 軍艦 瑞鶴 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 昭和十六年九月二十五日 海軍大臣 及川古志郎』〕、第五航空戦隊に編入された。同日附で「漣」は第五航空戦隊から除籍され、第7駆逐隊に復帰した〔#支那事変第10回功績(漣)p.1『9月25日七駆ニ復帰』〕〔#内令昭和16年9月(4)p.21『内令第千百十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年九月二十五日 海軍大臣 及川古志郎|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、漣」ヲ加フ』〕。 9月27日、陽炎型駆逐艦19番艦「秋雲」が竣工〔#内令昭和16年9月(5)p.9『内令第千百四十二號 驅逐艦 秋雲 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 昭和十六年九月二十七日 海軍大臣 及川古志郎』〕、同日附で第五航空戦隊に編入された〔#支那事変第10回功績(秋雲)p.1『記事|昭和一六.九.二七 第一航空艦隊第五航空戦隊ニ編入』〕。五航戦は空母2隻(翔鶴、瑞鶴)、駆逐艦2隻(朧、秋雲)となったが、「翔鶴、瑞鶴、秋雲」は空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)および第一水雷戦隊(軽巡《阿武隈》、第17駆逐隊《谷風、浦風、浜風、磯風》、第18駆逐隊《陽炎、不知火、霞、霰》)と共に真珠湾攻撃に参加することになり、航続距離の短い「朧」は別行動となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朧 (吹雪型駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|